#8 意味のある舞い
2024年はお正月に北野武『首』を観て、荒川良々演じる清水宗治の、舞を踊って辞世の句を詠んで、「早く切腹しろよ」と呆れられながら死んでいく感じが印象に残りました。大きく分ければ、死を前にして、人生を意味づける舞を踊り句を詠みたい側に私たち文化系は属していると言えるでしょう。それを滑稽と切り捨てられるのが面白おかしく、また残酷なところであります。同じ頃、『葬送のフリーレン』を読み、坂本龍一の誕生日に上映された『async』の制作ドキュメンタリーとライブパフォーマンスを観ました。東日本大地震の慰安で避難所の体育館を訪れた坂本が「お寒いでしょう。走り回ったりでもしながら、気楽に聴いてください」と語りかけ、「戦場のメリークリスマス」を弾き始めるシーンは、一時代を画期した作品の力というものを感じるところでもありました。会場である歌舞伎町の109シネマズは坂本が音響監修をしており、上映前にはメッセージが流れ、生前最期の仕事のひとつになっています。若い頃はこういった物事の意義がいまいち掴めずにいたのですが、大きな仕事を成し遂げた先にはモニュメントを建てるといったフェイズがあることに気づくようになりました。しかしそれでも、輝かしい時を知る者はやがていなくなります。フリーレンの世界では、苔むした勇者の像があちこちに打ち捨てられていて、あの熱や夢や感動はどうなるのかという問いが物語の通奏低音になっている。同時代の競争と時を超えた競争のさなか、みんな舞を踊っている。そんなことを考えていた矢先に『STATUS AND CULTURE』の翻訳原稿が届き、編集作業とともに一年は始まっていきました。
結果として今年はこの本の存在が自分の在り方のようなものの、ひとつの方向性を示してくれたように思います。続いて刊行された『東大ファッション論集中講義』も通底するモードのなかから形になった一冊で、大きな反響もあり、仕事は充実していたと言えると思います。それにもかかわらず、苦しい一年でもありました。時間に追われ、体力が落ち、何も言葉が出てこなくなった。誰にも言ってないけれど、最後の一ヶ月はほとんど休職寸前だった。私はカルチャーを通じて人生を意味づけることができたら嬉しかったけれど、カルチャーは熱風でありますから、精神的に停滞したところに吹くことはありません。自分の中で風が吹かなければ、人と人の間に吹かせることも難しいでしょう。このことを率直に吐露するのは怖くもありますが、まずは熱のありかを探るところから始めていかなければなりません。ただ幸いなことに、自分のまわりには気にかけてくれる人、声をかけてくれる人がいます。そうした存在に励まされ、触発される一年でもありました。意味があるかはわかりませんが、まだもう少し舞を踊るつもりでいます。今年もありがとうございました。
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