#1 ヒップは矛盾の上に栄える
ニュースレターを始めます。noteよりメディアっぽく、ブログよりダイレクトに、Youtubeより雑多なテーマを、ツイッターよりまとまった形で何かを発信したくて、ニュースレターはちょうどいい。
雑多であること。昨今は「◯◯について興味がある」というテーマがハッキリしていることがのぞましいとされる。発信するなら、ファッションYouTuberはファッションの話題を、料理研究家は料理のレシピを。そしてなるべくキャラクターに沿ったかたちで。ズレた発信はノイズになる。その気持ちはわかる。でも自分はたんに「◯◯に興味がある」ことより「◯◯と△△に"同時に"興味がある」ことのほうが重要だと思っている。同時に何かに目を向けていることのほうが人間の実際に近いわけだし、◯◯というベクトルに△△というベクトルが加算された結果としてどんな第三の点に到達するのかに関心がある。◯◯と△△のあいだに関連性というか文脈があるならそれはそれで納得できるし、もしそこに「矛盾」と言えそうなくらい距離があるなら、なおのこと気にかけたくなる。
『貴族になりたい パンクになりたい』というタイトルは、エスタブリッシュメントも、アンダーグラウンドも、両方目配せしていたいという助平心を表現したものだ。それは正反対を向いているようで、どちらも要はヒップでありたいということなのかなと思う。「ヒップは矛盾を普及させ、正当化する*1」。「逆張り」の通りが悪い今なら「ヒップ」はどうだろう。何かのカウンター、そのまたカウンターであることに気を取られるこの頃だけど、本当はそのどちらでもないことが大事だと我々は多くの事柄から教わったのではなかったか? たしかに、ついこのあいだ「ニューヨーカー」ライターのカイル・チャイカは「数年前私はもう誰も「ヒップスター」とは言わないことに気づいた*2」と書いていて、ましていい年して「貴族になりたい」「パンクになりたい」なんて……でもあともうちょっとだけこういう言葉を言ってみたい気持ちが、二〇世紀という巨大なコンセプトの残滓を啜っている自分にはある。
*1 ジョン・リーランド『ヒップ――アメリカにおけるかっこよさの系譜学』
*2 "Why did we stop saying “hipster”?"
今度刊行される『STATUS AND CULTURE――文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学』は、貴族であったりパンクであったりすることはこの社会でどんな意味を帯びているのかということを500頁以上(巻末注含む)かけて論じている本、という言い方もできるかもしれない。この本を担当することができたのは自分にとって念願でもあるから、その話も少しずつしたい。
最後にもうひとつ前からやってみたかったこと、Discordサーバーを開設した。
これもやっぱり、雑多な物事について誰かとコミュニケーションがとれる場があったらいいなと思っていたのだった。いちおう「カルチャーの話題」を軸にチャンネルを設定してみているけど、日々のあいさつや雑談、あるいはツイートしづらいことをポロッとこぼしたりする場にできるといいなと思う。なんとなく、方便のことを気にかけてくれるような人はなにかとノーウェアマンみたいな気持ちでいるタイプが多いんじゃないかと思う(よく反応をくれるフォロワーたちのタイムラインをたまに覗きに行ってみるとそう感じる)。でも、このニュースレターに登録してくれるような人同士だったら話が合うこともあるのではないか。しかしコミュニティというものはそんなうまくいくものでもないことは知っているので、しれっと消すかもしれない。いずれにしても気軽にご参加いただければさいわいです。